強烈なトップダウン型から自律自走型に組織を変えるためにToBeingsの力を借りた─Mipox株式会社

代表取締役社長|渡邉 淳 さん

取締役|中川 健二 さん

(写真左からMipox株式会社中川さん、株式会社ToBeings丹羽、Mipox渡邉さん、ToBeings橋本)

Mipoxは1925年にドイツ・レイボルト商館の子会社として創業した後、現社長の祖父にあたる渡邉惣吉氏へ資本をバトンタッチ、その後は精密研磨材専業メーカーとして発展を経て、2000年初頭からはコア技術である『塗る』をサービスとして提供するエンジニアリングサービス(受託塗布)を開始。さらに『磨く』をサービスとして提供するウエハープロセス(受託研磨)を立ち上げ、「塗る・切る・磨くで世界を変える」に取り組んでいる会社だ。創業から間もなく100年だが、『100年ベンチャー』を掲げ、変化しつづける集団である。現在は渡邉淳さんがMipoxの代表取締役社長として会社を率いている。

2019年、社長の渡邉淳さんや取締役の中川健二さんらが、ToBeingsとともにボードメンバーの対話を入り口に組織開発プロジェクトを開始した。それ以来、全役員が終日にわたって対話する場をおおむね月1回継続的に開いてきた。初期はToBeingsが伴走し、ファシリテートする形だったが、途中からは内部でファシリテートするようになり、2024年6月現在(取材時)までに50回近くの対話を続けている。彼らはなぜToBeingsをパートナーに選び、このような組織開発プロジェクトを始めたのか。5年間も継続してきた原動力は何なのか。役員が対話を重ねてきたことで、ビジネスや組織にどのような変化が起きたのか。今後も続けるのか。渡邉さんと中川さんに詳しく伺った。

「組織変容できるかどうかは、やってみないとわかりません」と言われたから、ToBeingsを選んだ

代表取締役社長|渡邉 淳 さん
――2019年、お2人はなぜToBeingsをパートナーに選び、組織開発プロジェクトを始めたのでしょうか?

渡邉:以前は、社長である私がトップダウンでMipoxを経営していました。ビジネスと組織の規模がそこまで大きくなかった頃は、トップダウンで大きな問題はなかったのです。ところが2016年~2018年頃に、グローバル化を強力に推し進めたり、日本研紙を仲間に迎えて製品事業のラインナップ拡充を進めたりした結果、私一人ではビジネス・組織のすべてを見渡せなくなってきたのです。一方で、ビジネス環境や社会の変化はますます激しくなっていました。この頃にはトップダウンの限界が見えていました。

今後、環境変化に迅速に適応しながら、さらにビジネス・組織を拡大するためには、トップダウン型組織から自律自走型組織へと変わる必要がある、と私は考えました。そのためにはまず、私自身がマイクロマネジメントを止めて、役員たちに権限を委譲するマネジメントスタイルに移行する必要があります。その上で、役員一人ひとりが、自分のやりたいことと会社の向かうべき方向性のアライメントを取り、各役員が自律自走型で推進していく体制をつくることが欠かせませんでした。私たちは、このようなマネジメント変革・組織変革を支援してくれるパートナーを求めていたのです。

中川:いくつかのパートナー候補のなかからToBeingsを選んだのは、橋本洋二郎さんが「組織変容できるかどうかは、やってみないとわかりません」とか、「私たちは社長の言うとおりには動きません」とか、「私たちは皆さんに厳しいことやネガティブなこともあえてお伝えすると思います」などと話してくれたからです。橋本さんの話を聞いて、直感的にToBeingsを選びました。

いま振り返ると、橋本さんのあり方は、現在の私たちのビジネスのあり方に似ています。私たちはいままさに、「やってみないとわからない」ビジネス環境で日々チャレンジしていますし、「社長の言うとおりには動かない」自律自走のマネジメントスタイルにシフトしています。私は、ToBeingsのあり方を吸収したいと思ったのかもしれません。

対話を始める前、役員たちは「社長との対話など、成り立つわけがない」と思っていた

取締役|中川 健二 さん

――私たちは組織開発プロジェクトの第一歩として、まず全役員の個別インタビューを実施しました。その上で、組織の現状を見立てました。このとき私たちが注目したのは、「Mipoxでは、社長と役員、役員とマネジャー、マネジャーと現場の構造がフラクタル(相似形)になっている」ということでした。つまり、社長が役員にトップダウンで接するが故に役員は自ら考えられない構造でしたが、一転して自らが上の立場になると、役員もマネジャーに、マネジャーも現場に対して、トップダウン型のマネジメントをしていたのです。私たちは、どの階層からもその構造を変えうるし、そこから得た学びは他の階層や全社に変革を広げていく際のヒントや原型になると考えていますが、今回のケースでは、自律自走型のマネジメントに変わることにコミットしている創業家の社長と役員の関係から入ることが、最も効果的だろうと考えて、入り口を決めました。

そこで私たちは、「社長と役員の関係変容を目指す対話の場」を定期的に開催することを提案したのです。そして2019年7~11月、まずは全6回の役員オフサイトミーティングを実施しました。初めてのオフサイトミーティングはいかがでしたか?

中川:初回に、渡邉が率先してディスカッションに参加していたのが印象的でした。素直にフルスイングで参加してくれたのはありがたかったです。社長がやる気を見せないと、役員たちは動きにくいですから。

――社史を振り返るワークでは、渡邉さんが一番積極的に関わり、役員の皆さんを後押ししてくれていました。ただ一方で、私たちの個別インタビューでは、役員の皆さんは「社長との対話など、成り立つわけがない」と話していました。当時は、創業家ですので当然かもしれないですが、そのくらい強烈なトップダウン型マネジメントだったわけですね。

中川:いまも昔も、渡邉はただ会社を良くしようと一生懸命に関わっているだけで、何も悪気はないのです。ただ、当時の渡邉は確かに、周囲に高圧的な態度を取ったり、役員に対してマイクロマネジメントを行っていたりしていました。実は、私と渡邉も5年前は緊張関係にあり、こうやってフランクに話し合うような仲ではありませんでした。当時は、渡邉と私たちの間には明確な上下関係があったのです。他の役員たちが「社長との対話など、成り立つわけがない」と思うのは当然でした。私たちは、そのレベルからスタートしたのです。

――そのとき、私たちが特に印象的だったのは、トップダウンが強いあまり、良かれと思っての指導が、逃げ場もなく詰める状態になり、かつ下の立場の人たちだからこそ見える重要な視点がまったく語られない状態でした。
そこで私たちファシリテーターがその上司と部下の人物に憑依し、語られていない声をあげて対話する手法を使い、目には見えない二人の間に起こっていることを現して、皆さんに感じてもらおうとしました。覚えていますか?

中川:はっきり覚えています。あのロールプレイのような場面はセンセーショナルでした。橋本さんが部下側のロールを担当して、なんとも言語化できない部下のもやもやを感情混じりで言語化してくれたのが非常に刺さりました。上司が単に怖くて意見を言えないだけではないんですね。端的に言えば、上層部はたくさんの情報や経験を持っており、かなり高い下駄を履いているのですが、そのことに無自覚なのです。無自覚なまま、部下を「まだまだ甘い」と判断してしまうので、部下からすれば、どうやっても「できない社員」に押し込められる負けゲームになっているのです。そのことを痛感しました。

「社長は自由に話していいと言いながら、右手で拳銃を突きつけている」と言われる事件が勃発

――その後、2020年からは皆さんが主体となり、基本月1回の役員オフサイトミーティングを継続していますね。2020年以降は、ToBeingsはスポット支援に移行し、要所の場づくりを手がけてきました。役員との対話を継続してきて、いまはどのように感じていますか?

渡邉:私は続けてきてよかったと思います。2024年からは回数を減らしていますが、今後も役員オフサイトミーティングを継続する姿勢に変わりはありません。トップダウン型から自律自走型への移行も少しずつ進んでいます。私が目指すのは、「私が役員に任せる」状態ではなく、「役員が私に任せなさいと言う」状態です。最近は、役員たちがそうした状態に近づいてきており、「私に任せてください。社長は来なくても大丈夫です」などと言われることも増えてきました。一方で、私は意識してマイクロマネジメントを止めるようにしてきました。その成果も確実に出ています。

――確かに変わりましたね。初期のインタビューでは、社長の前で発言や対話などできるわけがないと皆が言っていました。それどころか、「社長の言う通りにするのが自分の仕事だと思っています」という発言があったわけです。それが初期状態だったわけですから、数年でそういう状態になったのは、とてつもなく大きな変化です。もちろん、伸び代はまだまだありますけれども。

渡邉:役員たちには、「月1日、すなわち業務時間の5%だけ、私にくれないか」と言いながら、オフサイトミーティングを続けてきました。彼らも対話が大事であることを徐々に理解してくれたのだと思います。

中川:とはいえ、オフサイトミーティングが順風満帆だったわけではありません。途中はさまざまな事件が起き、社長と役員が何度も衝突しかけて、私はよくハラハラしていました。なかでも最も象徴的だったのは、2020年12月のオフサイトミーティングで、ある役員が「社長は自由に話していいと言うけれど、そう言いながら、右手で拳銃を突きつけている」と発言したことです。これはいまだに関係者全員が覚えている事件です。

――つまり、その役員は、言葉では「自由に発言していい」と言われているが、一方で、その発言は社長に評価・判断されるわけで、期待に満たなければダメ出しされたり、糾弾されたり、最悪の場合はこの立場を外されたりするかもしれない、と思っていたのです。彼は、それほどの恐れを抱いていたわけですね。

おそらく多くの役員が同じような恐れを抱いており、彼は代表として語ったのでしょう。社長がどれだけ「自由に話して大丈夫です」と言葉で説明しても、“目が笑っていない”などの身体的なシグナルで、相手は「自由ではない」と感じることがあります。また、過去から来るトラウマのような恐れは、深層心理に埋め込まれていますから、なかなか消えません。そういったレベルまで踏み込まない限り、言葉や決めごとだけを変えても、実際は何も変わらないのです。

1年前の登山とToBeingsからもらった1枚の絵が、社長を変えた

――この5年間で、渡邉さんが大きく変わったターニングポイントはいつでしたか?

渡邉:1つ目のターニングポイントは、約1年前の登山でした。私たちは昨年から、オフサイトミーティングとは別に、皆で立山に登山する研修を実施しています。朝、ガイドの指さした目標地点を見上げたら、「そんなところにはたどり着けないだろう」と感じるくらい遠く高かったのです。ところが、1日が終わってみたら、私たちはその目標地点に到達していました。夢中で一歩一歩足を進めたら、いつの間にかたどり着いていたのです。私はそのとき、手が届きそうにないような高いビジョンであっても、着実に歩んでいけば、意外と達成できるのだと悟りました。それは登山でもビジネスでも同じなのです。私はそれ以来、ビジョンに到達できていないギャップに右往左往するのではなく、一歩一歩に真剣に向き合うことに集中することのほうが大事なのだ、と思うようになりました。

中川:これは本当です。それ以降の渡邉は明らかに焦りがなくなり、落ち着きが増しました。

渡邉:2つ目は、2023年6月に、ToBeingsの丹羽妙さんたちのファシリテーションで対話したときのことでした。この回は膠着状態となり、何も前進しなかったのですが、ただ丹羽さんたちが持ってきてくれた1枚の絵が、その後の私を変えたのです。

風刺画出典:https://toyokeizai.net/articles/-/111537?page=4
――その絵は風刺画で、人間が、サルやゾウやペンギンや金魚やアザラシや犬や鳥に向けて、「公平な選抜をしますから、皆さん、その木に登る競争をしてください」と話しかけている様子が描かれていました。しかし、この勝負はサルか鳥が勝つに決まっていて、まったく公平ではありません。企業では、このように「表面上は公平だといいながら、実際は公平でない状況」がよく起こっています、という例示としてお渡しした絵です。

渡邉:そうです。私はこの絵を見てから、自分の優位性に対してより自覚的になりました。以前の私は、たとえば、自分の基準で相手に「これくらいできるだろう」と業務を与えて、相手がその業務に失敗するとイライラするようなところがあったのですが、それがいかに間違っていたかに気づきました。何よりも「人間は一人ひとりが全然違うのだ」と思えるようになり、一人ひとり違うスタイルや価値観の違いを尊重したり、強みを生かそうと考えたりするようになったのです。この絵はいまも社長室に貼ってあります。

――一方の中川さんは、ToBeingsの「今ここから始まる組織進化の実践講座」を受講していますね。実は私たちのほうが、中川さんの学びの意欲に圧倒されているくらいですが、中川さんは学んでみていかがですか?

中川:私が本気で学んでいるのは、組織進化のためのファシリテーションが、圧倒的に自分ごとだからです。あの講座で学んだことはすぐにオフサイトミーティングや日常のあらゆるマネジメントの場面で役立つのですから、本気で学ばなければ損でしょう。さらに、他の受講者の皆さんからも得るものがたくさんあります。

先日は、受講者仲間のある社長が語った「ロマンとそろばん」の話が実に面白くて、一緒になって考え込んでしまいました。そろばんはもちろん大事ですが、それだけではビジネスはできません。自分なりのロマンや理想を抱いて、失敗してもよいからチャレンジしていきたい、と想いを新たにした出来事でした。

ToBeingsは「鏡」のような存在で、私たちの現状の姿を鮮明に映してくれる

――今後の展望について教えてください。

渡邉: 2023年から、新たに部長向けオフサイトミーティングを実験的に始めました。この件については、先ほど紹介した「社長は拳銃を突きつけている」事件の張本人が、部長向けオフサイトミーティングは大事だから続けましょう、と主張しています。彼が本気になってくれているのは実に嬉しいことです。今後も続けることを検討しています。

ビジネスに関して言えば、私たちは1年後にどうなっているかまったく想像がつきません。10年後、20年後のありたい姿は、明確にイメージできています。しかし、1年後の自分たちの姿は何もわからないのです。

――よくわかります。現代社会は予測のつかないカオスですから、できない予測にコストを払うのは無駄でしかありません。

渡邉:まさに、私たちは、予測や詳細な計画に基づいて動くことを手放したのです。不思議なことに、そうして自然体でふるまうようにしたら、自己変容のスピードが上がりました。世の中の価値観の変化に無理せずついていっているからでしょう。父が昔、「生きているのではなく、生かされていると思いなさい」と言っていたのですが、私はいままさに生かされている状態にあります。

中川:私も似たような感覚があります。建築物を建てるようにビジネスを行うのではなく、石垣を組むようにビジネスを行っている、と感じることがあるのです。石垣づくりは、そのつどピッタリはまる石を積み上げながら、最終的にイメージどおりの石垣を組みます。同じように、現代のビジネス環境下では何が起こるかわからないので、目の前の課題に一つひとつ向き合いながら、最後に目標を達成するほかにないのだと思います。

渡邉:中川の言うとおりで、営業部はお客様の成功のために考えつづけ、製造部は安全と適正を大事にしつづける。そうやって目の前の最も重要な課題に向き合いつづける。それがカオスに対する基本的スタンスです。社内に伝えつづけたいメッセージの1つですね。

――市場も組織も複雑系だという自覚が強い人たちは、未来の予測がつかないことや、現状のすべてがわかるわけではないことを肯定的に捉えているように思います。未来の予測がつかないから適当にやるなのではありません。その正反対で、予測がつかないからこそ、いま何が起こっているかを丁寧に見極めたり、自分たちの軸を大事にしたり、柔軟に変化に対応したりすることに力を入れるのです。それにしても、お二人の「いまここ力」がものすごく高まっていることを感じました。

渡邉:生きる限り、丁寧に生きつづけるということです。

――最後に、皆さんが感じるToBeingsの特徴と、私たちを選んでいただいている理由を教えてください。

渡邉:ToBeingsのオフサイトミーティングを開いたからといって、進化や変化がすぐに起こるわけじゃありません。何かを解決してくれるわけでもありません。でも、必要なのです。なぜなら、ToBeingsは「鏡」のような存在で、空気や構造などを含めて、普通では見えない私たちの現状の姿を鮮明に映してくれるからです。その自分たちの姿を見て、どう変わるのかは、私たち次第です。つまり、ToBeingsに関わると、こちらが試されるわけです。

中川:本当にそのとおりで、ToBeingsの組織開発プロジェクトでは、こちら側のリテラシーがないと変化を起こすのは難しいです。私たちはけっこう時間がかかっていますが、それでも少しずつ進化変容しているからこそ、ToBeingsの伴走をお願いしつづけているのです。